全電源喪失と聞いた時に、菅さん(菅直人首相=当時)は官邸の誰よりも早く反応しました。よく分かってたんですね。「これは大変なことだよ」と。以後、この言葉を何度聞いたか。独り言のように言い続けていた。
当時のノートに「なぜ非常用ディーゼルエンジン(発電機)まで止まるんだ」って書いてある。これ、菅さんの発言です。「菅さんに冷却水が必要」。かなりテンションが上がってましたが、あの段階では仕方ないと思います。何も分からなかったから。
とにかく早く電源車をかき集めないといけない。首相執務室にホワイトボードを持ち込んで、秘書官たちが手分けして電話して「インター通過」とか、どんどん書き込んだ。菅さんも携帯電話でどこかに電話して「必要な発電機の重さと大きさはどれぐらいなんだ」と。何で総理にそんなこと聞かせてるんだ…と思った。でも、専門家の人たちに「これってどうなってるの」と聞いても、「はい」って返事はするけど、固まって動かない。
仕方ないから僕が近くに行って「あなたの持ってる携帯電話を左手に持って、右手でボタンを押して相手の人にかけてください」と言うと、動きだした。これ、本当の話。こういうのが頭が真っ白って言うんだと思った。
組織としての備えがないから、電源車の用意さえ官邸が判断を重ねていったんです。
二十一時十四分の電話で、東北電力からの電源車の一台目が着いたと。庶務の女の人が「よかった!」って歓声を上げた。ホッとしました。これで何とかなると思ったんだけど…。
民間から内閣官房入りし、審議官を務めている下村さんの回想です。
3月11日の福島第一原発事故の際に、政府が機能麻痺し、当時の菅首相がパニック状態でハッスルし、専門家は使い物にならなかった、ということは、みんな報道等で知っているのですが、ほぼ当事者である下村さんの回想はやはり生々しいです。
特に、”専門家”のダメっぷりはすごいですね。
「 あなたの持ってる携帯電話を左手に持って、右手でボタンを押して相手の人にかけてください 」
というくだりは、最初読んだとき何を言っているのか分かりませんでした。
それにしても、班目春樹氏がいまだに原子力安全委員長を務めている神経は、常人には測りかねますね。
なお、この東京新聞の【福島原発事故 その時私は】には、大変良質なインタビュー記事がたくさん掲載されています。